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東京地方裁判所 平成元年(ワ)3639号 判決 1992年1月28日

原告

松井智江

右訴訟代理人弁護士

松井邦夫

小堀勇

赤坂裕彦

山内雅哉

流矢大士

被告

佐野久治

外一名

右二名訴訟代理人弁護士

平野智嘉義

桃谷恵

被告両名訴訟復代理人弁護士

松田弘

補助参加人

殖産住宅相互株式会社

右代表者代表取締役

浦上隆男

右訴訟代理人弁護士

矢可部一甫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)  主位的請求

被告らは、原告に対し、別紙物件目録記載の一の建物のうち、別紙物件目録記載の二の窓七個を取り壊した上、右窓を塞ぎ壁にするか、又は、右窓を曇りガラスのはめ殺しの窓にする工事をせよ。

(二)  予備的請求

被告らは、原告に対し、右窓七個について、その南側に隣接する原告所有の宅地建物の観望を制限するための目隠し及び防音の設備をせよ。

2(一)  主位的請求

被告らは、原告に対し、別紙物件目録記載の四の排水パイプを撤去せよ。

(二)  予備的請求

被告らは、原告に対し、右排水パイプについて、防音装置を施せ。

3  被告らは、原告に対し、別紙物件目録記載の一の建物のうち、別紙物件目録記載の三の屋根部分を切除せよ。

4  被告らは、原告に対し、各自三二〇万円及びこれに対する平成三年一二月一七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は、被告らの負担とする。

6  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の所有する建物と被告らの所有する建物等との位置関係

(一) 原告は、東京都文京区根津一丁目七番二六の土地(以下「原告土地」という。)を所有し、右地上に建物(以下「原告建物」という。)を建てて居住している。

(二) 原告土地の南側には、被告佐野久治が所有する同所七番一四の土地と被告佐野久治及び同佐野シズが共有する同所七番二三の土地(以下、両土地を合わせて「被告土地」という。)とが隣接している。被告らは、昭和六三年一〇月三〇日ころから、被告土地上に別紙物件目録記載の一の建物(以下「被告建物」という。)の建築に着工した。

(三) 原告建物と被告建物の側壁との間隔は、約二メートルから二メートル五〇センチ程度にすぎず、被告建物北側の屋根の先端部分は、原告土地と被告土地の境界附近に達している。また、被告建物北側には、原告建物南側に面して、別紙物件目録記載の二の窓(以下「本件窓」という。)が設置されており、その位置及び形状は、別紙図面一記載の①から⑦までのとおりである。別紙図面一記載の③の窓(以下、本件窓のうち個々の窓については、同図面に記載された番号に従い、「③の窓」などという。)と④の窓の間には、別紙図面三記載のとおり、排水パイプ(以下「本件排水パイプ」という。)が設置されている。

2  本件窓及び本件排水パイプについて

(一) 被告らが本件建物北側に本件窓及び本件排水パイプを設置したことにより、原告は、次の生活侵害を受けている。

(1) 本件窓は、いずれも原告建物南側に面し、原告建物から至近距離にあるため、開放時には原告建物を観望することができる。このため、原告は、本件窓から覗かれているのではないかという精神的な不安を感じ、落ち着いて生活することができない。

(2) 本件窓のうち、⑤の窓を除く各窓から、被告建物の居住者が入浴、洗面、便所の使用、電話、会話、洗濯、炊事等をする際に生ずる騒音が、原告建物まで聞えてくる。原告は、これらの騒音によって、不快感を受けている。

(3) 本件窓のうち、⑤の窓及び⑦の窓を除く各窓から、料理に伴う臭気や、浴室や便所の悪臭が漂うため、原告は、これにより不快感を受けている。

(4) 本件排水パイプからは、被告建物の居住者が排水をするたびに騒音が生じ、原告はこの騒音により、不快感を受けている。

(二) 不法行為に基づく差止請求権の有無の判断は、当該侵害行為が受忍限度を超えるか否かの基準によるべきであるところ、本件窓及び本件排水パイプの設置により原告が受けている生活侵害は、次のとおり、受忍限度を超えている。

(1) 原告が本件窓及び本件排水パイプの設置により侵害されている権利は、平穏な生活を営む権利という、人間の自己実現にとって最も基本的かつ不可欠な権利である。また、原告が高齢のため通常一日中原告建物内で生活していることからも、原告の要保護性は高い。

(2) 原告建物は、住居地域に指定された閑静な住宅街に位置しており、原告は、本件建物が建設される前は、良好な日照、採光及び通風を享受し、騒音のない快適な生活を営んでいた。

(3) 原告は、本件窓及び本件排水パイプを通じて被告建物から出る騒音や臭気、覗かれているという不安感から、平成元年六月ころ心不全になり、その後肺炎、気管支炎を併発し、拒食症に陥った上、現在は特発性間質性肺炎を患っている。

(4) 本件窓を塞いでも、採光の減少は僅かであり、被告建物での生活にはさしたる不利益を生じない。実際にも、被告建物の居住者は、本件窓をあまり使用していない。

(5) 被告らは、本件窓からの防音、防臭につき、相当な措置をとっていない。

(三) 原告が(一)記載の生活侵害を除去するためには、本件窓については、これを塞ぎ壁の状態にするか、又は曇りガラスのはめ殺しの状態にし、本件排水パイプについては、これを撤去するしか方法はない。

よって、原告は、被告らに対し、不法行為による差止請求権に基づき、本件窓を取り壊して塞ぎ壁にするか又は右窓を曇りガラスのはめ殺しの窓にする工事を行うこと並びに本件排水パイプを撤去することを求める。

仮に、右請求が認められない場合には、原告は、被告らに対し、予備的に、民法二三五条一項の規定により所有権に基づき、本件窓に目隠しを設置すること及び不法行為による差止請求権に基づき、本件窓及び本件排水パイプに防音措置を講じることを求める。

3  被告建物北側の屋根について

被告らは、次の理由により、被告建物北側の屋根のうち、別紙物件目録記載の三の部分(以下「本件屋根部分」という。)を切除する義務を負う。

(一) 民法二三四条一項は、建物を建築するには境界線から五〇センチメートル以上の距離を置くことが必要であると規定するが、これは、境界線から屋根などの建物の固定した突出部分までの最短距離について規定したものと解するべきである。したがって、被告建物のうち、本件屋根部分は、原告土地と被告土地の境界線から五〇センチメートル未満しか離れていないので、同条項に違反している。

(二) また、本件屋根部分が原告土地との境界に接近しているほか、先端の雨樋が原告土地との境界付近まで突出しているため、降雨時には、被告建物の屋根からの雨水が屋根から直接流入したり、右雨樋から溢れるなどして原告土地へ侵入し、原告土地の所有権を侵害している。

(三) 民法二一八条は、雨水を直接隣地に注瀉させる屋根を設けることを禁じ、隣地所有者に差止請求権を認めている。本件屋根部分からは、右記載のとおり原告土地に雨水が流入しているのであるから、本件屋根部分は同条に違反する。

(四) 原告は、昭和三三年から原告土地に居住し、被告建物建築以前は、良好な日照、通風及び採光を享受していたが、被告らが原告土地との境界に著しく接近した位置に被告建物を建築したため、日照、採光及び通風を著しく阻害された上、騒音、臭気や、覗かれているのではないかという不安感などの精神的苦痛を受けた。これらの生活侵害が受忍限度を超えていることは、(2)記載のとおりであり、原告が従前享受してきた日照、採光及び通風を今後享受するためには、本件屋根部分を切除する必要があるから、原告は、不法行為による差止請求権に基づき、本件屋根部分の切除を請求することができる。

(五) なお、本件屋根部分の切除工事は、建築技術上容易であって、低廉な費用をもって短期間に実施できるから、本件屋根部分の切除義務を被告らに負わせても、被告らの受ける不利益は軽微である。

よって、原告は、被告らに対し、民法二三四条二項、同法二一八条、所有権による妨害排除請求権又は不法行為による差止請求権に基づき、本件屋根部分の切除を請求する。

4  慰謝料請求について

被告建物が建築されたことにより、原告は、前記のとおり、騒音、臭気、覗かれているのではないかという精神的不安感、雨水流入による原告土地の侵害など、多元的な生活侵害を受け、これにより心不全、肺炎、気管支炎及び拒食症などの疾患に陥り、精神的苦痛を被ってきた。そして、これらの生活侵害が年中反復継続して発生するものであり、慰謝料の額も一か月単位で算定されるべきであることや、被告らが原告土地と建物の間隔を離す旨の原告の申入れや、原告との話し合いを拒絶し、原告に対して不誠実な対応をとり続けていることなどを考慮すれば、原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料は、少なくとも一か月当たり一〇万円を下回ることはない。

よって、原告は、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、右慰謝料のうち、本件建物が完成した平成元年四月四日から同三年一二月三日までの期間に対応する三二〇万円とこれに対する平成三年一二月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各自支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実のうち、(一)は知らない、(二)は認める、(三)のうち、本件窓及び本件排水パイプの存在及びその位置は認め、その他の事実は否認する。

2(一)  請求原因2(一)の事実は、いずれも否認する。

被告建物内から生ずる生活音は、通常の生活に伴って生ずるものにすぎず、被告建物に居住している佐野啓子夫婦が共に職業を持っており、本件建物には昼間は人がいないことや、二階の便所の使用を自粛していることなどから、原告の主張するような、臭気や騒音による損害が発生することはない。

(二)  同(二)の事実はいずれも否認し、受忍限度を超えているとの主張は争う。

(1) 本件窓のうち、④の窓との⑦の窓を除く窓は、いずれもルーバー式(幅数センチの短冊形に切断した窓ガラスを窓に水平方向に並べ、ハンドルを回転させて短冊部分の角度を変えることによって窓を開閉する方式)によるものであるから、解放時にも各短冊部分が斜め下方向に数センチメートルの間隔で開くだけで、全面的に隣家を見通すことはできない。また、一階部分の窓は、いずれも窓枠底部より三分の二が原告土地と被告土地との境界に設置されているブロック塀により遮断されており、無理な姿勢をとらなければ隣家を覗くことはできない。なお、④の窓は、一階にあって上半分が固定されており、下半分は上端近くまで右ブロック塀に遮られているから、原告土地を覗くことはできないし、⑦の窓は、明かり取り専用の窓であって、床から1.8メートルの位置にあり、外界を覗くことはできない。

(2) 原告は、被告建物内から生じる生活音が公害対策基本法等の定める客観的基準をどの程度超えるかといった客観的立証もしておらず、何が受忍限度であり、どの程度これを超えているかについても具体的主張立証をしていない。これらの音は、常識的な日常生活に伴って生じるものであるから、被告らに防音対策を講ずるべき法的義務はない。

(3) 原告が被告建物建築以前に良好な環境を享受していたとしても、それは被告建物建築以前被告土地に納屋しか建っていなかったことにより偶然享受していたものであって、被告建物の建築により環境の変化があったとしても、第三種高度地区に指定されている地域の性格や、被告建物が建築基準法等の建築規制に適合していることなどに照らせば、右環境の変化は、原告が受忍すべき範囲内にある。

(4) また、被告らは、平成二年三月三〇日、本件窓のうち、④の窓と⑤の窓を除くすべての窓にブラインドを設置したほか、同年一二月一九日には、本件窓のうち、④の窓と⑦の窓を除くすべての窓に、目隠しを設置した。原告は、被告ら側が近隣関係を考慮してさまざまな措置を講じているにもかかわらず、これに乗じて過大かつ不合理な要求を重ねているものである。

(三)  同(三)は争う。

3  請求原因3について

(一) 請求原因3(一)のうち、民法二三四条一項の解釈は争う。同条項にいう五〇センチメートルの距離は、建物の土台又は側壁から境界線までの間隔について要求されているものと解するべきである。

原告土地と被告土地との境界から被告建物側壁までの最短距離は、約六四センチメートルであり、境界に位置するブロック塀の中心から被告建物までの間を測っても、約五九センチメートルの距離がある。したがって、被告建物は、同条項に違反しない。

(二) 同(二)の事実は否認する。

本件屋根部分の先端から垂直落下する雨水は、すべて被告土地内に落ちる。激しい降雨時に雨水が原告土地に越境するのは、原告の庭木からの落葉で雨樋が閉塞されるためであり、被告らは、雨樋を掃除するほか、落葉防止のため樋にネットを張っている。さらに、被告らは、大量の降雨時における雨水の飛散を防止するため、平成三年一月二八日、雨樋を内径の大きなものに取り替えたので、原告土地へ雨樋から雨水が流入することはない。これ以外の雨水の飛散については、住宅が密集する原告土地近隣では同様の状況がみられ、これを防止することは不可能であるから、所有権侵害には当たらない。

(三) 同(三)の事実は否認し、民法二一八条違反の主張は争う。

(四) 同(四)の事実は否認し、受忍限度を超えるとの主張は争う。

原告が被告建物建築以前に良好な通風、日照等を享受していたとしても、被告建物の建築が原告への権利侵害に当たらないことは、2(二)(3)記載のとおりである。また、被告建物は、日影規制などの規制基準を満たしており、原告建物の日照に重大な被害はでていない。そもそも、本件屋根部分を切除しても、原告建物の日照、通風及び採光には影響はない。

(五) 同(五)の事実は否認する。

本件屋根部分は、被告建物室内、窓枠及び壁面を保護しており、これを切除した場合、被告建物を傷め、耐久性に重大な影響を及ぼすから、被告らが被る不利益は大きい。

4  請求原因4の事実は、すべて否認する。

三  抗弁

(民法二三四条による本件屋根部分の切除請求(請求原因3(一))に対して)

被告建物は、原告の訴え提起以前である平成元年三月初めころには竣工したので、原告は、民法二三四条二項ただし書きの規定により、本件屋根部分の切除を請求することはできない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

被告建物が竣工したのは、訴え提起後の平成元年四月四日である。

第三  証拠<省略>

理由

一原告建物と被告建物等の位置関係について

請求原因1(二)及び(三)のうち、本件窓及び本件排水パイプの存在と位置については争いがなく、右争いのない事実に、<書証番号略>を総合すれば、原告建物と被告建物の位置関係、被告建物北側の造作物の形状及び位置関係について、次の事実を認めることができる。

1  原告は、原告土地を所有し、昭和四八年、同地上に三階建の原告建物を建て居住している。原告土地の南隣には、被告土地があり、被告らは、昭和六三年秋ころから、同地上に木造スレート葺二階建の被告建物の建築を開始し、平成元年四月四日竣工した。

2  被告建物の北側には、原告建物南側に面して、別紙図面一記載の①から⑦までの位置に、同図面記載の形状で本件窓が設置されている。一階の窓のうち、①の窓は浴室、②の窓は洗面所、③の窓は便所、④の窓は階段下に設けられており、二階の窓のうち、⑤の窓は物置、⑥の窓は便所、⑦の窓は廊下の奥に設けられている。④の窓以外の窓は、いずれもルーバー式であり、④の窓は、上げ下げ式の窓である。③の窓と④の窓の間には、二階の便所からの下水を排出するため、ほぼ別紙図面三記載の位置及び形状に、本件排水パイプが設置されている。

3  原告土地と被告土地との境界には、高さ一八六センチメートルのブロック塀が存在し、原告建物から右塀の原告土地側の壁面までの距離は、広い箇所で約一九七センチメートル、狭い箇所で約一四八センチメートルである。また、被告建物の側壁から右ブロック塀の被告土地側の壁面までの距離は、最も狭い箇所で約52.5センチメートルである。被告建物北側の一階及び二階の屋根の先端部分は、原告土地と被告土地の境界に接近しており、被告建物の屋根及びその先端に取り付けられた雨樋は、被告側で雨樋を取り替えた平成三年一月以前においても、右ブロック塀の上部付近に達しており、右塀の被告土地側の壁面の真上から二階部分の雨樋までの間隔は四五ミリメートル、一階部分の雨樋までの間隔は八五ミリメートルとなっていた。

以上認定した原告建物、被告建物及びその造作等の位置関係を前提として、原告の請求の当否を判断する。

二請求原因2(本件窓及び排水パイプに関する請求)について

1  証拠によれば、被告建物北側に設置されている本件窓及び本件排水パイプに関して、次のような事実が認められる。

(一)  本件窓は、いずれも原告建物に面した被告建物北面に設置されており、原告建物から至近距離にあり、原告建物の食堂、応接間、広間等のガラス戸と向い合っている。このため、原告は、本件窓から覗かれているのではないかという精神的不安を感じている。特に、①、②、⑤及び⑥の窓は、いずれもルーバー式のため、開放時に原告建物が丸々見られるような不安感を受けている。また、④の窓からも、原告方の足元を覗かれているような不快な気持ちを受けている。⑦の窓からは、覗かれているのではないかという不安感のほか、被告建物内部で電気をつけた際にドキッとするなどの精神的苦痛を受けている。(<書証番号略>並びに原告本人尋問の結果)。

(二)  原告建物二階のベランダにおいて、被告建物の浴室から①の窓を通じて、入浴に伴って、水を浴びる音、水を流す音、水をかき回す音、桶を置く音、会話、痰を吐く音などの騒音が、被告建物の便所から③及び⑥の窓を通じて、便所の使用に伴い、水を流す音やドアを閉める音が、被告建物の洗面所からは、②の窓を通じて、洗面に伴い、水を流す音、痰を吐く音などの騒音が、その他、④の窓からも、洗濯、炊事、掃除に伴う音や、会話などの騒音が、また、本件排水パイプからは、居住者が被告建物二階の便所を使用した後に、水の流れる騒音が聞こえる(<書証番号略>、検証の結果及び原告本人尋問の結果)。

(三)  本件窓のうち、①の窓からは、風呂の臭気が、③及び⑥の窓からは、毎年六月ころに、トイレの臭いと思われる臭気が、④の窓からは、魚や豆を調理する臭気が漂う。また、原告は、②の窓からも、いくらか臭いを感じるように思っている。(<書証番号略>及び原告本人尋問の結果)。

2 そこで、二1で認定した事実が、違法な生活侵害であるかどうかについて判断する。

(一) 一般に、居住のために建物を所有する者は、その所有権及び人格権の一内容として、健康で快適な生活環境を確保し、平穏に居住する権利を有する者ということができる。しかしながら、他人が隣地に建物を建てて生活することが認められる限り、これによって生活環境がある程度侵害を受けることは避けられないというべきである。したがって、近隣者間において社会生活を円満に継続のするためには,居住生活の過程で不可避的に生ずる法益侵害を互いに受忍することが必要であり、そのような社会的受忍の限度を超えた生活侵害のみが、違法なものとして、不法行為による差止請求や損害賠償の対象となるものと解するのが相当である。

(二)  そこで、前記1で認定した事実が、受忍限度を超えた違法なものかどうか検討する。

(1) 覗き見などの不安感(前記1(一))について

証拠によれば、本件窓からの観望状況等に関して、次の事実を認めることができる。

(ア) 本件窓のうち、④の窓は、下半分を開けても、原告土地との境界にあるブロック塀に遮断されて、原告建物を見ることはできず、上半分は開かない状態である(<書証番号略>及び証人佐野啓子の証言)。

(イ) また、⑦の窓は、その底部が二階床面から約二メートルという高い位置にあり、意識的に覗き込むなどの行為にでない限り、原告建物を覗くことは不可能である(証人佐野啓子の証言)。

(ウ) 被告らは、平成二年四月七日ころ、人が通常あまり出入りしない物置の窓である⑤の窓を除き、本件窓のすべてにブラインドを設置し、入浴時や、暗くなった後にはこれを閉めるようにしたほか、平成三年一月までに、④及び⑦の窓を除く本件窓の全面に目隠しを設置した(<書証番号略>並びに証人佐野啓子の証言)。

以上の事実によれば、本件窓のうち、④及び⑦の窓については、そもそも原告建物を覗き見することは困難であり、その他の窓についても、目隠しが設置された現在、原告建物を覗き見ることはほとんど不可能になったものと認められ、また、被告ら側が、原告建物への観望や照光を遮断すべく、各種造作を設置するなどして努力したことが認められる。このような状況下においても、原告は、目隠しを付けてもなお覗かれているような不安がある旨本人尋問において訴えているが、以上認定した事実に照らせば、原告が仮に精神的不安を抱いているとしても、それは社会生活上原告自らが受忍すべきものといわざるを得ない。

(2) 騒音(前記1(二))について

前記1(二)に認定した事実によれば、原告が精神的苦痛を訴えている騒音は、いずれも入浴、洗面、便所の使用、会話、炊事、洗濯など、常識的な日常生活に伴って必然的に発生する種類の音である。したがって、これらの生活騒音は、基本的には社会生活上のエチケットの問題であり、音量や頻度が常識を欠いて甚だしい程度に達するなど、特別の事情のない限り、社会生活上近隣居住者が相互に受忍し合うべきものというべきである。

そこで、本件の騒音について検討すると、原告は、<書証番号略>(陳述書)及び本人尋問において、被告建物からの騒音の音量について、窓を閉めても聞こえる、庭に出ているときには驚いて家の中に入ったり、びっくりして立ち上がるほどであるなどと述べ、騒音の頻度については、一日中連続して音がすることすらあると述べる。

しかし、右原告本人尋問の結果からうかがえる騒音の音量や頻度は、あくまで主観的なものにとどまるのみならず、音の頻度などについて、明らかに誇張された供述が認められるなど、主観的、精神的な苦痛として、原告の意識の中で拡大された可能性があることは否定できないから、これをもって騒音の客観的な音量や頻度を認める証拠とすることはできない。また、原告は、実際に騒音の音量を計測したわけではなく(原告本人尋問の結果)、音量について、これが受忍限度を超えることを客観的に明らかにした証拠が提出されていないなど、被告建物からの生活騒音が特に受忍限度を超える事実を認めるに足りる証拠は提出されていない。

よって、被告建物からの騒音が、受忍限度を超えるものと認めることはできない。

(3)  さらに、被告建物から出る臭気(前記1(三))についても、これらの臭気が不快なものであることは否定できないが、いずれも日常生活に通常伴う範囲を逸脱した臭気であることを認めるに足りる証拠はなく、かえって原告本人尋問の結果によれば、何となく臭う程度の臭気であったり、高温多湿の時期に限って臭うものであることがうかがわれる。したがって、これらの臭気が受忍限度を超えるものと認めることはできない。

(三)  この他、原告は、原告が被告建物の建築以来心不全や肺炎等の疾患にかかっていることから、本件窓や本件排水パイプに起因する多元的な生活侵害が受忍限度を超えていると主張する。確かに、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果によれば、原告が平成元年六月に肺炎及び心不全に、同三年二月に慢性気管支炎にかかったこと、その後拒食症になり、体重が減少したこと、同年八月には特発性間質性肺炎にかかったことが認められる。しかし、前記認定のとおり、本件窓等からの騒音等は、いずれも常識的な日常生活から必然的に発生する種類のものであることに照らせば、これらの騒音等と原告の右疾患との間に相当な因果関係があるものと認めることはできない。したがって、原告が疾患に陥った事実をもって、原告の被害が受忍限度を超えることの証左とすることはできない。

この他、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果により認められる、原告が被告建物の建築以前から原告建物に居住しており、被告建物の建築以前には良好な通風、日照、採光を享受していたこと、原告が現在七三歳の高齢であり、原告建物内で生活することが多く、要保護性が高いことなどの事実を考慮しても、原告が受けた前記各生活侵害が受忍限度を超えるものと認めることはできない。

以上のとおり、原告が受けた生活侵害について、これらが社会生活上受忍すべき限度を超えた違法な侵害であるということはできない。

よって、本件窓及び本件排水パイプに関する原告の主位的請求及び予備的請求のうち、不法行為による差止請求権に基づく防音措置請求は、いずれも理由がない。

3  また、予備的請求のうち、民法二三五条一項に基づいて本件窓に目隠しの設置を求めるものについては、前記2(二)(1)で認定したとおりであり、他人の宅地を観望すべき窓とは認められないので、この点に関する請求も理由がない。

三請求原因3(本件屋根部分に関する請求)について

1  請求原因3(一)について

(一)  原告は、被告建物のうち本件屋根部分が境界線から五〇セン千メートル以内に存在するので、民法二三四条一項に違反する旨主張するところ、被告は、境界線から側壁まで五〇センチメートル以上の間隔がある被告建物は、同条項に違反しないと主張する。そこで、同条項が規定する五〇センチメートルの距離が、境界線と建物のどの部分との間の距離を規定するものかについて検討する。

(二) 民法二三四条一項の趣旨は、建物と境界線との間に一定の間隔を保持することにより、通風や衛生を良好に保ち、類焼等の災害の拡大を防止し、また、境界線付近における建物の築造及び修繕の際に通行すべき空き地を確保することにある。このような趣旨を実現するために、同条項は、境界線と建物との間隔について、住宅事情や土地の利用状況にかかわらず、異なる慣習や特別法のない限り、一般法として一律に適用されるべき行為規範を規定したものである。このような点にかんがみれば、同条項は、右趣旨を全うするために必要な最低限度の境界線との間隔を定めたものと解するのが相当である。加えて、同法二一八条が雨水の注瀉の禁止を定めていることをも考慮すれば、同法二三四条一項に定める五〇センチメートルの間隔は、建物の側壁及びこれと同視すべき出窓その他の建物の張出し部分と境界線との最短距離を定めたものと解するべきである。

(三)  そこで、本件についてみると、前記一に認定した事実によれば、被告建物北側の側壁と境界のブロック塀の被告土地側内側との間隔は、最短でも52.5センチメートルあることが認められる。原告土地と被告土地の境界線の位置については争いがあり、原告は右ブロック塀の原告土地側の壁面、被告らは右ブロック塀の中心であると主張しているが、境界線の位置をいずれと解しても、境界線と被告建物の側壁との間の距離は、前記距離より長くなることは明らかである。また、被告建物北側において、右建物の側壁より境界線側に、側壁と同視すべき固定的な造作が存在する事実は認められない。したがって、被告建物について民法二三四条一項違反の事実は認められない。

2  請求原因3(二)について

前記二2(一)で述べたところと同様に、近隣者間において生活侵害がなされた場合には、社会的受忍限度を超えた妨害のみが、所有権に基づく排除の対象となるものと解するべきである。

前記一に認定したとおり、被告建物北側の一階及び二階の屋根の先端部分は、原告土地と被告土地の境界に接近し、被告建物の屋根及びその先端に取り付けられた雨樋が境界にあるブロック塀の上部付近に達しており、右塀の被告土地側壁面の真上から二階部分の雨樋までの間隔は四五ミリメートル、一階部分雨樋までの間隔は八五ミリメートルとなっていたことが認められ、<書証番号略>並びに原告本人尋問の結果によれば、本件訴訟提起当時、被告建物に降った雨水が、本件屋根部分一階先端の雨樋から溢れるほか、二階先端部から直接流入、飛散するなどして、原告土地に越境したことが認められる。

しかしながら、<書証番号略>、証人佐野啓子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、被告らは、平成三年一月ころ、一階屋根先端部の雨樋を取り替え、より深い雨樋を設置したことが認められる。その後の被害状況について、原告は、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果において、台風の後に境界のブロック塀に染みがあったほか、雷雨の際に雨樋が少し溢れていたのを見た旨述べるが、他方、台風の際には雨水の越境は目撃できなかった趣旨の供述をしていることからすれば、雨樋の取り替え後には、仮に雨水が越境するとしても、相当量の降水が集中的にあった場合に限られるものと推認され、これに反する客観的な証拠はない。以上のような、現在における雨水の流入状況に関して証拠上認定できる事実に加え、被告側において雨水の越境を防止するために措置を講じたことをも考慮すれば、本件屋根部分から社会生活上受忍すべき限度を超えて雨水が越境し、原告土地の所有権が侵害されたとの事実を認めることはできない。

3 請求原因3(三)についても、民法二一八条が所有権に基づく相隣関係を規律した規定であることから、同条違反により差止及び損害賠償請求をすることができるのは、土地所有者が隣地工作物からの雨水の流入により、社会的に受忍すべき限度を超える損害を被った場合に限られるものと解される。そして、前記2のとおり、現在の雨水の流入状況に関して証拠上認定できる事実に加え、被告側において雨水の越境を防止するために措置を講じたことを考慮すれば、本件屋根部分から社会生活上受忍すべき限度を超えて雨水が原告土地に流入した事実を認めることができない以上、同条に基づく原告の請求は理由がない。

4  請求原因3(四)(日照権、通風)について

<書証番号略>及び原告本人尋問の結果によれば、被告建物が原告建物の南隣にあって原告建物に接近していること、平成元年に被告建物が建築される以前、原告建物は良好な日当たりを享受していたが、建築後は原告建物南側の日照が悪化したこと、現在では冬季に原告建物一階の広間に日が入らなくなったこと、原告建物二階においても、午前九時半ころからしか日が差さなくなったことなど原告建物内の日照及び採光が被告建物の影響を受けて悪化した事実が認められる。

しかし、被告建物が日影規制や北側斜線制限に違反しているなどの、日照侵害が受忍限度を超える程度に達していることの客観的証拠がないほか、原告建物が三階建であり、被告建物によって原告建物全体が日影になったり、日照上の影響を受けるわけではないことが認められる。したがって、被告建物による日照侵害が、受忍限度の範囲を超えたものと認めることはできない。

また、通風障害についても、原告本人尋問の結果によれば、被告建物の建築により、以前は良好であった原告建物の通風が悪化したことは認められるが、その程度についての客観的な証拠がなく、原告が受けた通風の悪化が受忍限度を超えるものと認定することはできない。

5  以上のとおりであるから、原告の本件屋根部分切除の請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないから、これを認めることはできない。

四請求原因4(慰謝料請求)について

これまでに述べたとおり、原告が被告建物からの生活侵害により受けた精神的被害は、いずれも原告が社会生活上受忍すべき限度を超える損害であるとは認められないから、被告らに不法行為責任を認めることはできない。したがって、原告の被告らに対する慰謝料の請求も理由がない。

五結論

以上のとおり、原告の請求は、主位的、予備的請求ともに理由がないので、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官秋山壽延 裁判官中西茂 裁判官森英明)

別紙物件目録<省略>

別紙図面一〜三<省略>

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